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私たちの周囲には、存在しながら隠れている”差別”がたくさんある。

それらの差別は、長い間続いてきた偏見と恣意的な態度の結果であり、あまりに長い間、当然のごとく続いたため、多くの人はそこに差別が存在することに気が付かない。

しかしブレンディのCMは、その存在を分かりやすく提示してくれた。
このCMを見た人々の反応の多くは「気持ワルい」というものだった。

その反応は正常だ。差別とは後ろ暗く後ろめたくドロドロした「気持ワルイ」ものだからだ。普段隠されているドロドロを引きずり出したのがブレンディのCMだ。

CMの舞台は学校の卒業式。
牛に見立てられた生徒が、と殺場行き、肥育場行き、闘牛場行き、”ブレンディ”行きに振り分けられ、「おめでとう」と”卒牛証書”が与えられる。
最後に行先を告げられたのが胸の大きい女生徒。彼女はブレンディ行きがきまり、乳牛としての価値が認められた喜びに顔を輝かせる。涙ぐむ女生徒に「濃い牛乳を出し続けるんだよ」と校長がエールをおくり、会場が歓声に包まれたところで幕がおりる。

※現在、この動画は非公開になっている。

牛を擬人化したこのブレンディのCMは物議を醸した。
多くの人は女性差別、若者差別の意識を感じ反応したが、もっと根本的な差別に反応した人たちもいる。それは人から動物への差別「種差別」だ。

擬人化された胸の大きい女生徒は「ブレンディ行き」の誇りに目を輝かせるが、もし牛自身に意思表示が許されるならば、ブレンディ行きを喜ぶ牛はいない。

乳牛の一生は過酷で、救いがないのだ。
ほぼ一生をつながれたまま過ごし、角は麻酔無しで切除され、乳をたくさん出すように品種改良され続けた弊害で体は慢性的な病気に苦しんでいる。自分の意思に反して人工授精を繰り返され、2,3産で乳の出が悪くなると、屠殺される。人で言うとだいたい20歳くらいで一生に終止符を打たれる。

ブレンディ行きの過酷なとらわれの短い一生に同意する牛は決していないだろう。それはほかの場合でも同じだ。
と殺場行き、肥育場行き、闘牛場行き、いずれも、もしも牛が口をきけたなら、声を上げて拒否するだろう。

ブレンディは、今も繋がれたまま牛舎の中で自由を奪われ過ごしている乳牛や、毎日毎日抵抗することもできずに屠殺されている牛たちの苦しみを無視し、面白可笑しいテイストで装飾した。そこには牛の苦しみへの共感や思いやりは欠片もみられない。

人だけが特権を持ち、他の動物の尊厳を踏みにじる「種差別」は、あらゆる差別の中でも、群を抜いて悪質だ。しかし多くの人はそこに差別があることに気が付かない。動物自身が訴える言葉をもたないからだ。

だがブレンディのCMは牛を擬人化し、物言えぬ動物の感情を都合よく解釈すんることで、人が持つ基本的な差別への嫌悪感を引き出した。「種差別」は飲食店、衣類、動物園、スーパーなどあらゆるところにはびこっている。焼肉や毛皮、皮革製品、娯楽、牛乳などの形をとって。だが多くの人はそこに差別があることに気が付かない。
だがこのCMを見た少なからぬ人は、種差別の悪質さに気が付くことができた。

多額の広告費を使い、種差別の悪質さを表現してくれたブレンディには感謝するべきかもしれない。

ちなみにこのCMの擬人化牛の鼻輪だが、牛を制御しやすいよう肉牛の約8割で鼻輪の装着が行われている。装着は麻酔無しで行われるため、鼻輪装着時には牛は嫌がり、痛みで苦しむ。

 

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