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酪農で働いて感じたこと-「愛情」なんて言葉は言えない

畜産動物がどんなふうに飼育されているのか、外部の人が知る機会はほとんどありません。生産の現場と食卓が離れすぎた結果、畜産について理想的なイメージを抱く人もいます。広々とした草原で草を食む牛、親子の睦み。しかしそういったものは現代の畜産からはほぼ排除されています。

理想的なイメージは、畜産物のパッケージや宣伝文句で植えつけられたものかもしれません。しかし実態は異なります。このたび、アニマルライツセンターは、酪農施設で働いた経験のある方から体験談をいただきました。


私が酪農施設で働いたのは、2019年頃のことだ。

「牛乳」と聞いて、真っ黒な牛と白黒模様の牛、どちらを思い浮かべるだろうか?ほとんどの人が思い浮かべるのは、あのなじみのある白黒のホルスタイン種ではないだろうか。

では酪農場には白黒模様の牛しかいないかと言うと、そうではない。自分が働いた農場には、真っ黒な子牛たちがたくさんいた。白黒模様のホルスタイン種のメス牛が、黒い子牛も出産するからだ。なぜ白黒模様の牛から黒い子牛が産まれるのかは、働いてみて分かった。

「乳牛」と呼ばれるホルスタインのメス牛は、オスの牛と恋をして、自然に子どもを産んでいるわけではない。牛の出産は、人の手で完全にコントロールされており、家畜人工授精師という資格を持った人間の手で人工授精されていた。
そのときに乳用種であるホルスタインのオスの精子が注入されれば白黒に、肉用種の精子が注入されれば黒い子牛も産まれるというわけだ。

私は、乳用に飼育されるメス牛が人間に勝手に種付けされ、子どもを産ませられることをどう思っているのだろうとよく考えた。
自分の相手はどんな顔をしたオス牛なんだろうか?群れを守ってくれる素敵なリーダーなんだろうか?性格は、声色は・・・ときめきも知らず、何一つわからないまま、メス牛たちは、子牛を出産させられた。

メス牛たちは、大人のオス牛を見ることさえなかった。私が働いた農場では、肉用牛の精子を注入されて産まれた子牛は、オスでもメスでも、肉用として、1週間ほどで農場から出ていった。乳用種の精子を注入されたオスもまた、彼らは乳を出すことができないので、肉用として生後1週間で農場から出ていった。

乳牛たちは大人のオス牛と触れ合うことなく、自分の意志ではなく子牛を産まされ、乳を搾り取られていた。それは動物の自然の姿からは程遠かった。

子牛もまたお父さんの顔を見ることはない。それだけではなくお母さんと過ごすこともできなかった。生まれた直後にお母さんとお別れさせられるからだ。

「直後」という表現に疑問を感じる方もいるかもしれないが、私が見た光景は、引っ張り出したらそのままさよならさせる、正にびっくりするくらいの「直後」だった。

立ったまま出産したり、座り込んで出産したり、スタイルは様々だったが、変わらないのは人が出産時に立ち会うことだった。母牛は出産が近づくと落ち着きなくあちこちうろうろと歩き回った。従業員は見えてきた子牛の足と自分の体にロープをつなぎ、歩き回る牛に手こずりながら、後ろに体重をかけて介助した。

出産の光景は、私が思い描いていたものとは違っていた。母牛が出産するのは自分がいつも生活しているのと同じコンクリートの床の上で、たった一本のワラもなかった。
糞尿で汚れたコンクリートの上に引っ張り出された子牛は、そのまますぐにソリに乗せられて、洗い場に移動させられた。子牛は母牛の乳房から一滴の乳を飲むこともできず、母牛は子牛をたった一回舐めることさえできなかった。

ただ、夜中に出産した場合は少し違った。従業員が見回りに来る間、ある程度の時間、母子は触れ合うことができた。でもそのような場合は母牛に情がわき、子牛を引き離すときに攻撃してくることもあるため、農場では、母子のふれあいはよくないものとされていた。

私がいた施設は、牛をつなぐタイプの農場ではなく、牛が牛舎の中を自由に歩き回れる飼育方法だった。
つなぎ飼いよりもフリーなほうがずっとマシだとは思う。つなぎ飼いはアニマルウェルフェア以前の問題で、動物が「歩けない」ような飼育方法は普通に考えて全くよろしくない。
でもだからといって、自分が働いた農場のように、ある程度のスペースを自由に歩ける牛たちが幸せとも見えなかった。

牛たちは屋外の運動場もなく、牛舎の中だけで生活していた。定期的に床の清掃は行われたが、牛は人間の何十倍も排泄する。地面をきれいな状態に保てるのは掃除のあとのわずかな間だけだった。

毎日固い床での寝起きを繰り返すので、足の関節に炎症を起こしている牛も多かった。たくさん乳を出すように育種されてきた弊害なのか病気の牛も多く、そういった抗生物質などで治療中の牛は、まとめて集められ、別の囲いに入れられていた。先天異常で産まれる子牛も多いとも聞いた。

毎日、搾乳する牛をロータリーパーラ-へ移動させ、搾乳機を乳頭にとりつけたが、パンパンに膨れた乳房はまるで空気を入れすぎたゴム風船のようで苦しそうだった。

搾乳機を装着しようとすると後ろ足をばたつかせて嫌がる牛もいた。乳頭は4つあるが必ずしも全部に機械を装着するわけではなかった。調子の悪い乳頭からの乳は商品にできないので3つの乳頭だけで搾る牛も多かった。

牛の背後から搾乳機を乳頭にセットする作業をしていると、関節の炎症や体の汚れの様子がよくわかった。本来ふさふさしている尻尾に糞がこびりついてダマになり固まり、重く垂れさがっていることもあった。そういった牛たちを見て、幸せそうと感じることはなかった。

「ストレス与えると牛乳たくさん出してくれない、だから愛情持って飼育してます」と言う言葉をきくことがあるが、私には口が裂けても「愛情」なんて言葉は言えなかった。

母牛が搾乳されているころ、少し離れた別の小屋では、従業員が子牛にミルクを飲ませたり糞尿掃除をしたりしていた。そこには将来乳用牛にされるメス牛もいれば、別の農場に移動させられる前の、肉用の子牛もいた。

子牛たちはすべて個別に囲いの中で単飼いされており、一頭ごとに与えられたスペースは前後に三歩歩けるくらいしかないほど狭かった。

産まれて一日ほどしかたたない、まだ眼がはっきり見えていないような子牛は、哺乳瓶のゴムの乳首を差し出しても何かわからず怯えて後ずさりした。そういう子牛を従業員は抑え、ゴム製の固い乳首を口に押し込み、ミルクを飲むことを覚えさせた。

ミルクは朝・夕の2回のみで、子牛たちは数分で飲み終わった。吸うという行為はただ栄養を摂取するためのものだけではないだろう。人間の赤ちゃんと同じように、子牛にとっても精神的安定のために必要だと思うけれど、母牛の乳首の代わりの哺乳瓶は、飲み終わればすぐに回収された。

ほとんどの子牛は、哺乳瓶が空になってもいつまでもゴムの乳首を吸い続けていて、それを取り上げるのが毎回申し訳ない思いだった。子牛の中には、お母さんのおっぱいを吸いたいという欲求をみたそうとするかのように、囲いの固定のために結んでいるヒモの飛び出た部分に口を何度も当てているものもいた。

たまに囲いから脱走する子牛もいた。
そういう子牛は実によくはしゃぎ、走っては急ブレーキをかけて方向転換したりして、嬉しそうに飛び回って、なかなか捕まえさせてはくれなかった。それは、私が働いた農場で見た、唯一の動物らしい姿だったと思う。

そういう姿を見ていると、牛は私たちが思っているよりも遥かに活発な動物なわけで、動物を閉じ込めるということは、どれだけ残酷なことなんだろうかと、思わずにはいられなかった。

牛乳の裏には、自由を奪われ、汚れたコンクリートの上しか居場所のない母牛や、母牛と一度も触れ合うことのできなかった子牛たちがいる。
食卓の上の牛乳から、彼らの姿を想像することは難しいかもしれないけれど、母牛がどれだけ苦しみ、子牛がどれだけ心の涙を流したのか、考えてみてもらえたらと思う。


*写真はいずれも国内の酪農施設のものですが、このレポートの農場のものではありません。

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